<三宝荒神社 @>
別名「竈(かまど)神社」とも言われ、台所の神様として慕われて
おります。
毎年11月28日には三宝荒神大祭を執り行っており、当日は多くの
方がお参りされます。
また社務所にて三宝荒神社のおふだを授与しております。

<西門狛犬 A>
文久3年(1863年)江戸末期ウオンタナ(魚之店)からの奉納。
今の宿院町東の大道よりの地域が戦前ウオンタナと言われていた
ところの海産物問屋の人達が中心であった事が分かる。
子持ち・球持ちの狛犬で、安産の神、海の神である当社の正門を
守るには相応しい狛犬です。

<大阪府立泉陽高等学校発祥の地 B>
大阪府立泉陽高等学校は創立の年を市立堺高等女学校が開設された
明治33年(1900年)としておられます。
しかし堺高等女学校を遡れば明治7年5月に設置された女紅場(じょこうば)
に辿り着きます。
平成12年12月に創立100周年記念として同窓会泉陽会の手により
「大阪府立泉陽高等学校発祥の地」の石碑が境内に建立されました。

<大阪府立三国丘高等学校発祥の地 C>
明治28年開校の大阪府第二尋常中学校をその前身としており、その後
明治34年大阪府立堺中学校と改称し、昭和23年学制変更により
府立三国ヶ丘高校、平成13年三国丘高校と改称されています。
明治28年1月11日大阪府は設置の交付を行い開口神社境内に場所を
定め、4月11日156人の第一期新入生を迎えて始業式が行われました。
平成17年11月、創立110周年記念として同窓会の手により建立
されました。

<茶室「無礙(むげ)庵(あん)」 O>
武野紹鴎(たけのじょうおう)好みの茶室と伝えられ、戦前は八窓の席
とも称せられていました。
茶室は昭和20年7月に戦争で焼失し、平成元年に再建しました。
八窓といいながら実際には7つの窓であることから「似て非なるもの」
という意味を含め「無礙庵」と名付けました。
このような茶室は全国にも数えるほどしかありません。
残念ながら通常茶室内部は公開しておりませんので、外観のみの見学と
なります。
武野紹鴎−堺の茶人
     紹鴎の茶湯は千利休、津田宗及、今井宗久に影響を与え
     彼らによって継承された

<金龍井 P>
正慶元年(1332年)広智国師乾峯(けんぽう)和尚により創建
された海会寺は元は大寺(開口神社)西門付近にあり、後に
南宗寺境内に移転しました。
話は大寺付近にあった草創期(暦応2年4月=1339年)のことで
あります。
朝廷から国師号を賜ったほどの名高い名僧で誉高く、その徳を
慕って教えを乞いに訪れてきた金面龍王という龍に、ありがたい戒
(三聚浄戒仏語なので内容がわからない)を授けた。
龍は何かお礼がしたい申し出ると、旱魃で困っている人々のために
水が欲しいと和尚は願った。そこで清水を求める方法を教えた。
すなわち地面に鵜の羽を敷いてそこに白露が浮かぶところを見つけ
井戸を掘ると言う通り水が湧き出した。
これが金龍井であり以後枯れることがなかったという。
金龍という名は金面龍からきており、泉南第一の名泉と伝えられ、
豆腐作りに盛んに使われたという。
(和泉名所図会・全堺詳誌・堺市史・西門石碑参照)
平成16年11月に大小路界隈「夢」倶楽部の皆様の手により井戸前に
館が完成し金龍井が復活しました。

<与謝野晶子歌碑 Q>
平成28年5月29日堺観光ボランティア協会の方々の手によって
建立されました。
堺観光ボランティア協会創立20周年を記念して企画され、
晶子の命日である「白桜忌」に合わせて除幕式を執り行いました。
少女(おとめ)たち開口(あぐち)(かみ)(くす)()若枝(わかえ)さすごとのびて行けかし」
晶子が幼少時代遊んだ開口神社の境内にあった樟を見て詠んだこの
歌には、同郷の未来ある女性たちに向けて開口神社の樟の大木から
若い枝が生き生きと伸びていくように成長して欲しいという強い願いが込められています。
現在この樟はありませんが、晶子の強い思いは今なお残っています。

<針塚 I>
毎年2月8日に使い古した針を供養する「針供養」を行っています。
針供養は裁縫を1日慎み、古い針や折れた針を豆腐やこんにゃくに刺して
神社に納め針仕事の上達を祈願するお祭りです。

<歌塚 H>(敷島会)
裏側には「つといをはしめてより、とゝせニあれたるをもて、のちの
     おもひにとこれをたつ」    明治37年11月敷島会
と刻まれている。
これによると会は堺の歌人達によって明治27年に発足した事になり
与謝野晶子は明治29年5月に入会しております。

<堺の幼稚園教育発祥の地 N>
明治19年5月に私立の幼稚園が当神社境内に設立され、翌年
公立堺幼稚園となりましたが22年9月に廃止となります。
その後32年再び境内連歌所に市内の有志者と市の補助で
私立堺幼稚園が設立され市立幼稚園の前身となりました。

<薬師社・薬師如来 L>
神宮寺、念仏寺のご本尊。「行基の作と伝えられており、市内
最古の部類に入ると言われています」
幸い明治の廃仏毀釈や大戦の戦災からも逃れ、薬師社として今も
祀られています。神仏習合の要素が残っている唯一の社です。
通常はご開帳しておりませんが、2月3日の節分祭ではご開帳され、
殿内で護摩供養を行っております。

<山本(やまもと)梅史(ばいし)句碑 G>
「風鈴や見馴れたれども淡路島」
 〜堺市から見馴れた淡路島が今日は新鮮に見えるのは
  風鈴の音色のせいだろうか〜
堺市の俳人で昭和3年泉州の同好の士と雑誌「いづみ」を発刊
堺音頭の歌詞は梅史が作ったものです。

<影向石 M>
影向石は神仏がお姿を現される御座の石の事で各地にあります。
当神社の影向石は塩土大神が行基菩薩と法談されるときに腰かけ
られたとも弘法大師とお会いになられたとき座られた石とも伝えられ、
緑がかった2個の石からなり2人が座れるような石です。

<手水舎 K>
当社は昭和20年の戦災でほとんどの建物が焼失しましたが、手水舎は
現存しています。
手水鉢の表には丸に錨型十字紋が入り、宝永7年(1710年)3月
大町浜の住人が奉納しています。
この紋については諸説ありますが、隠れキリシタンの意味があるという
説もあります

<三好元長戦死跡碑 J>
戦国時代の武将で三好之(ゆき)長(なが)の孫。阿波(徳島県)の国人。
大永6年細川晴元を補佐して挙兵。翌7年に官領細川高国を京都から追い、
足利義維(よしつな)をたてて和泉堺に公方府を開いた。

<扇塚 F>
芸能の神様です。
毎年11月上旬に扇塚前で使い古した扇を供養し、芸事の上達を祈願
する「扇まつり」を行っております

<白一龍神社 E>
全国でも珍しい歯の神様です。

<豊竹稲荷神社 D>
ご祭神 倉稲魂命
本来は穀物・農業の神ですが、現在では産業全般の神として信仰されて
います。
当神社では毎年、旧初午の日に初午祭を執り行い餅まきをしております。