御祭神  ■塩土老翁神(しおつちおじのかみ)(元開口村の神)
      航海の神、塩を司る神であり、物知りの神としても知られています
      又、命の根源を護る神とも言われ、安産の神としても崇められています

     ■
素盞嗚神(すさのおのかみ)(元木戸村の神)
      牛頭天王(ごずてんのう)とも蘇民将来(そみんしょうらい)とも言われ疫病除災の神として崇められています
      古来より厄除け、開運の神としても篤く信仰されています

      
     ■
生国魂神(いくたまのかみ)(元原村の神)
      国土開発、発展の基となる神として崇められています 

創建   神功皇后(じんぐうこうごう)の勅命により、西暦200年頃と思われる

社格   「延喜式」神名帳(記載)式内社 

由緒   神功皇后が三韓(朝鮮半島)より石津浜に上陸され、塩穴松原にて忍熊王の
     反乱を平定すべく戦勝祈願の祈祷をした折、老漁師が赤目魚(鯛)を献上
     したことを吉祥の証と喜ばれ、八重潮路に向かう地に塩土老翁の御魂を
     お祀りせよとの詔により開口神社が創建されました。
     その後、天永4年(1113年)開口村、木戸村、原村の三村の神社併合により
     三村宮、または三村明神とも称されるようになります。

歴史年表

しらひげさん
本殿の北側にあった井戸屋形のような小さな祠。人々はそれを『しらひげさん』と呼んで信仰していました・・・。
むかし、朝鮮の国に国民からたいへん信頼を受けていた若光という王様がおったそうな。 白いヒゲを生やしたその王様は、
俗に『しらひげさん』の愛称で慕われ、死後も神としてあがめ続けられておった。
この新羅(しらぎ)から渡ってきた神『しらひげさん』と、磯良(しら)と称する日本の神との混合体が、境内に祀られておる
『しらひげさん』じゃ。
その『しらひげさん』を祀った祠の中には井戸があって、その中に一匹の竜神(しら)が住んでおり、毎年初秋の頃になると
昇天して大雨を降らせ、農民たちを喜ばせたそうじゃ。
なんでこの地に祀られたか定かではないのじゃが、なんでも、開口神社に祀られているスサノオの神は、永らく新羅の国に
住んでおって、新羅に精通する神としてあがめられてもおったそうな。 そんなことから、この地に『しらひげさん』の祠をもって
きたのじゃろう。


西暦
         仲哀天皇期    神功皇后の勅願により御創建           

 530     敏達天皇10年  掃守連矢負を遣わし神戸を定める         

 680前後  白鳳年間      巴紋から三つの茄子の社紋への変化の故事有

 731     天平 3年     住吉神社(大社)神代記に記載

 746     天平18年     念仏寺建立(この項大寺縁起による)神仏習合の始まり  

                    8月1日聖武天皇行幸

 806     大同 元年     空海宝塔建てる                   

 927     延長 5年     延喜式登載

 932     承平 2年     神階正五位上に進む

1113     天永 4年     開口・木戸・原村の三社併合

                    これより俗に三村宮又は三村明神と云われる

1174     承安 4年     一切経蔵建立

1187     文治 3年     指画文書-堺最古の現存文書

1375     永和 元年     念仏寺年中行事成る

1425     応永32年     女院御所光範門院祈願所となる

                    念仏寺塔婆造替日時勘文

1427     応永34年     足利義持祈願所となる

1483     文明16年     三村社祭礼記録-宮座記録

1535     天文 4年     千利休初見-念仏差帳日記

1579     天正 7年     大寺名初見(津田宗及日記)

1586     天正14年     豊臣秀吉より80石朱印状を受ける

1655     明歴 元年     遷宮-徳川家宣

1663     寛文 3年     三重塔再建

1690     元禄 3年     大寺縁起絵巻上梓

         元禄期       鉾祭礼に出る

1721     享保 6年     谷善右衛門神輿寄進

1868     慶応 4年     8月26日より28日迄明治天皇御即位御祈願

1868     明治 元年     9月28日より10月5日迄東京行幸禁裏御祈願

1873     明治 6年     郷社となる

1874     明治 7年     女紅場(現泉陽高校)境内に設置される

1889     明治22年     堺市役所境内に置かれる

1895     明治28年     府立第二尋常中学(現三国丘高校)境内に開設

1902     明治35年     府社となる

                    神楽殿建立

1910     明治43年     大寺縁起国宝指定

1914     大正 3年     堺市立幼稚園(現第一幼稚園)が境内に設置される

1915     大正 4年     客殿建立

1921     大正10年     吉光短刀国宝指定

1945     昭和20年     7月10日戦災により境内堂宇全焼す

1950     昭和25年     大寺縁起短刀銘吉光重要文化財に指定

1953     昭和28年     伏見天皇宸翰御歌集 冬百首重要文化財に指定

1964     昭和39年     本殿拝殿再建

1966     昭和41年     儀式殿 瑞祥閣竣工

1970     昭和45年     創建1700年式年大祭斉行

                    開口神社史料上梓

                    玉垣、灯篭等整備

1985     昭和60年     20年式年祭斉行

1989     平成元年      境内の戦災復興整備終える  

                    末社整備竣工

                    参道石畳等境内整備
  

金龍井の由来
神社西門の入口の「金龍井」と呼ばれる古い井戸にはこんな伝説が・・・。
むかし、ここに海会寺という寺があったそうな。 ある年の夏、毎日、日照りが続き、井戸まで水がなくなってしまった。
そんなある日、海会寺の和尚が庭にたたずんでいると、1人の老人がやってきて「前世の咎で蛇身に生まれついた私を
お救い下さい」と言うので、和尚は「念仏を一身に祈りなさい」と教えたそうな。 すると老人はたいそう喜んで「お礼にいい
事をお教えしましょう。
庭に鵜の羽を敷いて一夜置き、その下に白露が湧いたらそこを掘ってみてください。」と言い残し、そのまま立ち去ったそうじゃ。
寺男が後をそっとつけて行くと、老人は一匹の大きな竜になって草むらへ消えていったそうな。
和尚は老人の言った通りにして掘ってみると、なんと清らかな水がこんこんと湧き出たそうじゃ。 その水の湧き出した跡が
今の「金龍井」で、神社の北門を少し行ったところにある蛇谷が、老人が竜の姿に変わって消えたところだそうな。

みむらん坊
本殿の前には戦前まで、樹齢600年以上といわれる樟の大木があり、そのむかしそこには年を経た天狗が
住んでいたそうじゃ・・・。

木戸、原、開口村の3つの村の社が合併されたそのむかし、ここの村人を「みむらん坊」とゆうとった。 その中に、「1日千里
の道を往復できる」と大言壮語する者がおったそうじゃ。 神変自在の力が知られている彼のことを「みむらん坊天狗」と
称えておった。
ある時、この天狗「下界には住むことができぬ」と言って、神社本殿の前にある樟の大木に登ってゆき、人前に再び姿を
みせぬようになった。 木の葉がうっそうと生い茂るその大木は、上を仰いでも梢は見えず、木の股に設けられた祠がうす暗い
闇の中に浮かんでいるかのようやった。 村人はこの中に天狗が住んでいると噂したそうな。
そんなある日、天狗は大和吉野の大天狗と問答の闘いを行ったそうじゃ。 しかし無念にも負けを喫したため、一夜吉野に
飛行し、大天狗の膝下に参じたんだと。
吉野山の山奥に、今も朱塗りの立派な桜門が見える事があるそうじゃが、それは「みむらん坊天狗」が大寺の山門をその際に
持ち運んだものじゃそうな。

* 金龍井又は海会寺井について *

正慶元年(1332年)広智国師乾峯(けんほう)和尚により創建された海会寺は元は大寺(開口神社)西門付近にあり後に
南宗寺境内に移転しました。 話は大寺付近にあった草創期(歴応2年4月=1338年)のことであります。
朝廷から国師号を賜ったほどの名僧で誉高く、その徳を慕って教えを乞いに訪れてきた金面龍王という龍に、ありがたい
戒(三聚浄戒-仏語なので内容がわからない)を授けた。 龍は何かお礼をしたいと申し出ると、旱魃で困っている人々の
ために水が欲しいと和尚は願った。 そこで清泉を求める方法を教えた。 すなわち地面に鵜の羽を敷いてそこに白露が
浮かぶところを見つけ、其処を掘り井戸を開けば清水が求められると。 早速白露の浮かぶ所を見つけ井戸を掘ると、言う
とおり水が沸きだした。
これが金龍井であり、以後枯れることが無かったという。
金龍という名は金面龍からきており、泉南第一の名泉と伝えられ、豆腐作りに盛んに使われたという。
(和泉名所図会・全堺詳誌・堺市史・西門石碑参照)


平成16年11月に大小路界隈『夢』倶楽部の皆様の手により井戸前に館が完成し、金龍井が復活しました。
龍神様の知恵と力を授けるお札を社務所にて授与しています。